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いちばんぼしにとどくまで

俳優の黒羽麻璃央くんのファンです

ミュージカル「刀剣乱舞~阿津賀志山異聞~」1幕のストーリーについて考えたこと

はーーーもうすっかり刀ミュロスです。公演中は色々と不満や疑問もあったものの、千秋楽のまりおくんの晴れ晴れとした顔とその後のブログを見てしまったら、そんなものすべて吹き飛んでしまいましたね。何だかんだあるけれど、これだけ大きなコンテンツを扱った舞台の、クレジット一番目の役にまりおくんを選んでくれたネルケさまには感謝カンゲキ雨嵐です。夏のライブも、秋の新撰組公演も、そして冬のホールツアー(言うて東京大阪だけですけど…)も!!楽しみで仕方ありません!

さて、夏のライブまでのロスは自給自足で乗り切ろう!ということで、思い出し感想などを書いてみようと思っています。まず1幕について。

トライアル公演と変わった部分
が、何カ所かありました。他にも変わっているところあるかもですが、気付いたのは以下の部分。

 

1.M1「刀剣乱舞」の振付

最後のサビの部分が変わりましたね。トライアルの時は正面を向いて踊らずに歌っているだけだったのですが、振りが付きました。後ろで生き返っている時間遡行軍たちと同じ振り付けなのでなかなか面白い…。単純に、歌とダンスのスキルが上がって歌いながら踊れるようになったという役者の成長でもあり、ショーの要素が強まったような印象もあり。

 

2.加州くんのテンション

トライアルの時はとにかく「主大好き!俺のことも好きになって!きゃぴきゃぴ!」みたいなカワイイ感じだったのですが、本公演では5歳くらい精神年齢上がったような、落ち着いた感じになっていました。特に印象的だったのはさにわに対して「俺のこと嫌いなの?」というシーンと、本丸で石切丸が部屋を出て行った後小狐丸に「小狐丸…!」と呼びかけるシーン。どっちも、男らしくなったというか…困ったときに一回自分の中で租借する、みたいな落ち着きが出たような。個人的には、本公演の加州くんの方が、より頼りになる隊長って感じで好きでした。

 

3.お茶を飲む三日月と加州くんのやりとり
大阪公演から加わった小ネタなのですが、三日月さまの茶菓子を加州くんが奪って食べるというのがですね、非常にかわいいですね…。その後の収集付かなくなる三条も、トライアルのときとは動きが変わっていたような。今剣と岩融がリンボーダンスみたいなことしてて可愛かった。


4.「勝利の旗」バックの映像
桜がぶわっと舞うように。これもトライアルの時は無かった気が。


5.「うたかたの子守唄」
小狐丸と石切丸が朗々と歌い上げたら真ん中から三日月さまが爆誕して神楽み溢れる舞を舞うトニセンソングが追加されました。この曲自体はとてもいいんですけど、ここからのバラード連続3曲(うたかた→名残月→矛盾という名の蕾)の流れは正直改悪では!?と思いました。どこも削れないのは分かるけど、ミュージカルとしてバラード3曲連続というのはどうなのよ…!?


6.「矛盾という名の蕾」
石切丸と加州くんのデュエットが追加されました。ここもね!歌わせたい気持ちは分かる!!とても!!だが!!(by岩融)


7.弁慶様と今剣の絡み日替わり
弁慶の泣き所ネタ(今剣が弁慶様のすねを殴って「いた…くない!」というやつ)が何パターンかありました。私が見た限り一番ウケてたのは、弁慶「いたーーっ!!!」今剣「痛いですか?痛かったですか?」弁慶「いた…くない!会いたいなー!会いたいなーと言ったのだ!」今剣「会いたい?誰にです?」弁慶「我が君に会いたいなー!!」っていうやつ。


8.「おぼえている」
義経公と戦う前に今剣のソロから始まる曲が追加されました。これのテニミュみ凄くないですか?(笑)多分、感情を歌い上げる人(今剣)とト書きの部分を歌い上げるその他、みたいな構図が理由なのかな…テニミュで言うと試合してる人とベンチから応援してる人のパートが分かれてるみたいな?半数がテニミュ出身なので余計なんか懐かしさを感じました。で、ここについては詳しく言いたいことがあるので後ほど。義経公が出てくる時、セットの板に色んな表情の義経公(狂ってるバージョン)がぼんやり映るのが本公演イチの爆笑ポイントだとずっと思ってます…ダサい…!!!(笑)


9.加州くん「ちょっとは可愛くなったよな」
最後の審神者との会話ですね。トライアルの時は「ちょっとは可愛くなったかな?」だったんですけど、可愛くなったことに自信満々なご様子。ここも、強くなった加州くん、って感じでステキですね。


10.「キミの詩」の映像
あんなに桜がぶわっっとなってましたっけ?とってもキレイな映像でした。桜の木の枝に今剣が座っているように見えて、ステキな演出だな~と思いました。卒業していく三条組の門出を祝うような満開の桜でした。

全体的には曲が増えたので感情の盛り上がりが分かりやすくなった、がしかし冗長な感じはぬぐえず…と言ったところでしょうか。元々スタイリッシュだったり重い演出が出来る演出家さんではないので、最後の戦いのシーンを戦隊ヒーローショーみたいにしたのは良かったなと思います。刀ミュはやっぱりエンターテイメントというか、陰か陽かで言ったら陽の空気に振り切った方が向いてるなーって感じがしました。

 

 

今剣の極実装について
で、今回書きたかったのはここなんですよー!なにやら東京公演と大阪公演の間に、ゲームの方の刀剣乱舞で今剣に「極」というものが備わったらしい。何かと言うと、刀剣を元の主のところに送って特訓させるとレベルアップする、みたいな感じだそうなのですが(ゲームをやってないので間違ってたらすみません)、その際に審神者のところに刀剣から手紙が送られてくるんですね。その手紙の内容がとても話題になっていて。

ざっくり書くと
・自分は義経の守り刀だと思っていたが、どうやらそうではなかった
・「今剣」という刀は史実には存在していないことを知った
というような内容でした。えええー!?

刀ミュを観た方は分かると思うのですが、物語は義経が戦に負けて自害するところから始まるんですよ。自分の守り刀の短刀で首をかっ切って死んでいくのですが、その際ステージにはその短刀の映像が浮かび、今剣の声で「義経公?ねぇ、義経公?これは…なに?」というセリフが入り、あたかもその自害のシーンが刀剣男士である今剣の過去の記憶であるかのように描かれているんですね。
でも、今剣は実際には義経公の守り刀ではなかった。それどころか「刀」として日本の歴史の中に存在したことがなかったんです。刀剣男士は「刀に宿る付喪神」という設定なのですが、今剣は「人間が伝承してきた伝説が具現化した存在」みたいなことなのかな、と思います。

それを踏まえてミュージカルを観ると、色々腑に落ちる部分も多くて。
まず、劇中義経が持っている短刀は今剣の持っている刀と形が違うんですよね。弁慶が持っている刀も岩融のものと形が違います。これは何でなんだろう?とトライアル公演の時から思っていたんですけど、もしかするとこのお話を作る段階から既に今剣の極については共有されてたことだったのかなーと思っています。

そして、今剣の「おぼえている」という曲の歌詞。これは本公演から追加されたもので、悪霊に乗っ取られて正気を失った義経を他の刀剣男士が攻撃しようとするときに、今剣が義経をかばって歌う曲です。歌詞の内容は「僕は義経公の守り刀」「義経公を守るのが僕の役割」という今剣の宣言から始まって、「義経公のぬくもりを、感触を覚えている。だから義経公を殺さないで」と続きます。私これ、最初に聴いたときは「刀時代に感じた義経公のぬくもりを覚えている」ってことだと思ってたんですよ。誰が見ても悪と化してしまった義経公を「殺さないで」と言っている今剣が、子どもっぽくて嫌だなーとさえ思っていました。

ただ、そうするとその後に続く岩融から今剣への「忘れろとは言わない/だが責めるな/自分のことを」という歌詞の意味がイマイチ分からない。今剣、別に自分自身のこと責めてなくない?って、本公演の最初からずーっと違和感を感じていました。

でも、今剣の言う「義経公のぬくもり」が、劇中の時間軸の中で感じたものだったとしたら?
今剣は劇中、本丸を抜け出して義経公の陣に潜入します。そこで「自分は今剣だ」と正体を明かさないまま、義経や弁慶たちとしばし行動を共にするのです。ここからは完全に深読みなのですが、その潜入中にもしかすると今剣は、自分が本当は何者なのか気付いたのではないでしょうか。

そうすると何となく全てのつじつまが合ってくるというか。岩融は同じ「伝説上の刀」の立場から何となくそのことを感じ取って、今剣に「自分を責めるな」と、つまり「自分の存在までをも否定するな」と言ったのではないでしょうか?

冒頭の今剣の「義経公?ねぇ、義経公?」の記憶は、多分作られた記憶です。でも、その後阿津賀志山で、義経の陣で過ごしたほんの短い期間の思い出は、確かに今剣が体験した記憶。「きらきら光る宝物」のような、優しくて大事な記憶です。

原作のゲームでは、自分が伝説の存在であることを知った今剣は審神者に「これからは主さまについていきます」と宣言します。「義経公の刀」というアイデンティティを捨て、「主様に仕える刀剣男士」としてアイデンティティを再構築するのです。
ミュージカルでは、その相手は審神者ではなく岩融でした。物語の最後、義経を倒した岩融は朝焼けを眺めながら今剣に伝えます。
「例えこの身が滅びようとも、死して砂となり消えようとも、後の世も、また後の世も俺と共にあること、それがお前の役割だ!」
義経の最期の句になぞらえたこの宣言を、目に涙を浮かべながら「…はい!」と受け止めることで、ミュージカル「刀剣乱舞」の今剣は「義経公の守り刀」というアイデンティティを失い「肉体を持った刀剣男士の今剣」という新たなアイデンティティを得ました。
今後、何年経っても岩融と今剣がお互いのことを想い続ける限り、二人の存在がなくなることはないんだな、と思うと、なんだかとてもジーンと来ました。

また、新たなアイデンティティを確立したのはこの二人だけではありません。
石切丸と加州清光も、刀時代にいた場所から離れ、同じ本丸の同じ第一部隊として戦う中で、それぞれのバックボーン(元の主)から生まれた考えを捨て、自分の頭で考え、行動し、戦うことに対しての答えを見出そうとします。この二人だけが、唯一この物語の中で関係性を変えてゆき進行を深めていくポジションだったので、観ててとても面白かったです。何度も言うけど物語が進むにつれて石切丸→加州くんへの呼び方がどんどん変わっていくの最高すぎるでしょ…!

三日月宗近と小狐丸は、たぶんとっくにそういう葛藤に自分の中で決着をつけていたんでしょうね。
とはいえ、葛藤した結果「俺は言葉は信じぬたちでな」という結論に至っている三日月宗近が、人間による「伝承」つまり「言葉」によってのみ存在している今剣&岩融側のフォローに回っていたこともなかなか興味深いですけど。私はやっぱり言葉の力は信じたいし、だから今剣と岩融がああいう結論を出したことで三日月宗近の中でも何か新たな考えが生まれているといいな、と思っています。

なんかイマイチ上手く纏まらないんですが、とりあえず今思っていることをばーっと書いてみました。
原作ゲームについてはまだまだ全然勉強中で、間違ってるところも多いと思うんですが、何か間違ったこと言ってたらこっそり教えてください。

2幕の感想はまた別の機会にー!
刀ミュ、楽しかったです!